■館内催事情報

【2階第1展示室案内】    蓄音機展              【2階第2展示室案内】    常設展             ぜひ1階のギャラリーもお訪ね下さい《ギャラリーは入場無料です。お待ちしております。》                    j●1階ギャラリーで個展を開催される方を探しています

■ご 案 内

kanzanji

Author:kanzanji
☆1Fカフェギャラリーでは浜名湖を眺めながらのティータイムで旅の疲れを癒して行って下さい。デロンギエスプレッソマシーンで作るマシュマロモカラテ、ネギ焼きセット好評です。(昔風お好み焼+アイスクリーム+静岡緑茶)
気にいった個展の作品に出会えるかも・・・1階は入場無料です。

☆2F浜名湖舘山寺美術博物館は【怪獣博覧会】を開催しておりますので是非覗いて行ってみて下さい。
入館料金大人300円 高大生150円小中生無料

〒431-1209静岡県浜松市西区舘山寺町3313-1
TEL053(487)1513

■舘山寺温泉周辺ミニ情報

耳寄りな話

舘山寺町の堀江城跡を一周する小径(龍神を祀る水神小径・遊園地パルパル外周歩道)が注目をあびそうです。一周散策して約20分。足湯も二箇所出来ました。舘山寺温泉のパワースポットです。古来からあるこの道は、ここに宿る住民にとっても大切な心の支えになっているのかなぁ・・・この城の姫は後醍醐天皇の後裔、木寺宮赤津中務卿の娘・・・定姫 舘山寺山の聖観音、道ろく神のお地蔵さんにも足を延ばすともっと良いかも・・・

- なるほどねぇ-
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■現在までの総観覧者

おわらの風の盆が舘山寺にやって来る
7月26日(土)
  
夏のそぞろ歩きフェスタ2008in舘山寺(7/26)に富山「おわら風の盆」を招き、温泉街を街流しします 同時に36ものバンドが6会場でストリートライブ(ミュージックフェスタ)が開催されます バンド演奏はA〜F会場で16時から おわら盆踊りはお寺を20時に出発・・・翌日は灯篭流しと花火大会(今年から1日になりました)楽しみですね ぜひ観に来て来て下さい
おわら60


このへんの歴史情報 | 15:19:01
三方ケ原合戦 酒井忠次の海老すくい踊り
浜松発祥の地『海老すくい踊り』
元亀3年(1572)三方ケ原の一戦で敗れて意気消沈している徳川軍の前に、またもや甲州武田軍が来襲してきた。
家康は、すっかり元気を失くしている所将を見渡して、酒井忠次(さかいただつぐ)に海老すくいの踊りをいたせと命令した。
 これから出陣という間際に、家臣筆頭の酒井に海老踊りをいたせというのだから、これはなんたることかと一同驚いた。冗談にもほどがすぎると呆れていると、よもやと思った重臣中の重臣が、やおら立ち上がると珍妙きわまりない海老すくいを踊り出したのである。
 泥鰌すくいに似た滑稽な踊りに、一同思わず笑い転げてしまった。
 そのためあの憂鬱顔も消し飛んで陽気な男たちの哄笑がつづいた。
・・・という事だそうです。遠州のみなさん!酒井の太鼓をたたいて、みんなで海老すくいを踊りましょう。
 ※参考文献:現代視点 戦国・幕末の群像 徳川家康(P88)
   発行所 株式会社 旺文社

会員募集しています★
                   
                    浜松海老すくい踊り保存会連絡協議会
                     (事務局浜名湖舘山寺美術博物館内)
 

このへんの歴史情報 | 10:22:55
真田幸村の曾祖父  を祀った舘山寺町「とおず十頂(十頭)八幡宮」
舘山寺町の「とおず十頂(十頭)八幡宮」に祀られていた尾藤修繕の孫、宇多頼忠(うだ よりただ)の長女山之手姫(寒松院)が真田幸村を産み、次女おりん姫(皎月院)が石田三成に嫁いでいます。真田幸村は尾藤修繕の夜叉子になるそうです。最近わかりました。詳しくはカテゴリー堀江城木寺宮定姫物語・水神小径へ
「十頂(十頭)八幡宮」由緒(とおずはちまんぐう)
 尾藤主膳(びとうしゅぜん)は、居城の堀川城(ほりかわじょう)を家康に攻められて落城。三千の徳川勢が大挙して堀川城に迫ってきた。大手は尾藤主膳、奥表口は山村修理(やまむらしゅり)が守った。総攻撃は永禄十二年三月十二日の干潮とともに。堀川城の城兵一千七百人とはいえ百姓主体の男女入り混じった村人らである。いくさ慣れした徳川勢に敵うはずもなく、全員が討たれ、戦闘は一日で片付いた。
 落城の惨劇の中で、城将尾藤主膳は落城の様子を、堀江城に知らせるため部下十名と堀江城に行き、場内にかくれたが、やがて同城も徳川方と和睦開城するに至り、もはやこれまでと永禄十二年(1569年)三月二十七日、十人と共に切腹して果て「とおず十頂(十頭)八幡宮」として祀られました。
 これ以前の永禄三年(1560年))五月、桶狭間の戦いの直後に尾藤主膳の子、尾藤源内と孫の又八郎が尾張に移って森三左衛門可成(よしなり)(森蘭丸の父で織田信長の家臣)に仕えていた。孫の尾藤知宣(とものり)は永禄年間に、羽柴秀吉に仕えるようになっている。
 孫の宇多頼忠(よりただ)は引佐郡に当主として残っており、永禄七年(1564年)頃に武田信玄の家臣だった真田昌幸(まさゆき)に長女(山之手姫)を嫁がせ、真田ゆ幸村を生んでいる。
その後、天正三年(1575年)五月二十一日長篠の戦いで、武田家が遠江で勢力を失うと、宇多頼忠は所領を捨てて兄尾藤知宣を頼って近江の長浜城へ赴き、その紹介で知宣の主君羽柴秀吉の弟秀長の家臣となった。「竹生島奉加帳」には彼の名が兄知宣と共に残っている。 秀吉、秀長の出世と共に累進し、秀吉が天下を取って秀長が百万石の領主として大和郡山城に入った頃には、家臣団の中でも藤堂高虎に次ぐ一万三千石を領する重臣となっていた。石田三成に次女(おりん姫)を嫁がせたのはこの間のことで、秀吉の家臣団の中でのごく普通の縁組であった。

尾藤主膳家系図


このへんの歴史情報 | 15:17:39
「見附酒井太鼓」に関する企画
三方原合戦の太鼓を浜松城で打ち鳴らそう城元亀3年(1572)12月に勃発した三方原合戦において、徳川家康が浜松城に逃げ込んだ時、武田の軍勢に囲まれました。その時に酒井左衛門(姫路城のお殿様)が一計を案じ、浜松城の城楼に登り打ち鳴らしたのが「見附酒井太鼓」として現在磐田市の指定文化財として現存するものであるといいます。(山岡荘八の著書「徳川家康」にも書かれている事で有名です)その「見附酒井太鼓」を磐田市からお借りして、浜松城と当館で、イベントと、特別展を計画してみてはいかがでしょうか。浜松において、日本の歴史的展示物を扱う博物館として浜松城と当館で連携して浜松の歴史・文化をアピールしてゆく事業を展開できたらと考えております。 
 また、長らく「見附酒井太鼓」は浜松を離れ、その存在を知る浜松市民は非常に少ないと思われます。この企画を行うことによって、多くの人々に浜松の歴史と、その遺産の一つである太鼓の存在を知っていただけたらと思います。という企画書を昨年提出しましたら酒井の太鼓だけは実現しました。よかったですねぇ。


このへんの歴史情報 | 12:53:12
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